佐藤多佳子「黄色い目の魚」
こんにちはこんばんは飛び魚です!
ナイスしていただいたみなさん、ありがとうございます!どんどん更新します!
週末で見事にリズムを崩し、読書していても眠くなって本の内容がよく吹っ飛びます。
そんな状態でも、佐藤さんの「黄色い目の魚」とってもおもしろかったです、ガチです。
佐藤さんの書かれる青春小説は、本当にまっすぐで濁りがなくて、読者の心のもやもやをきれいさっぱり洗い流してくれるんですね。
「一瞬の風になれ」も大好きで、高校の頃一読して、つい最近も再読しました。
量が多い割に、作中のスピード感がこちらに伝わって思わず目が先へ先へと走っていく、で、気付いたら終わってしまう、、そんな感じです。
抽象的で稚拙な表現で申し訳ないんですが、本当にそう感じるのです。
本作では高校生の男女2人の視点から物語が進んでいきます。どちらも世の中を斜めに見ているようなところがある、少しひねくれた者同士で、思わずクスクス笑ってしまうようなことを真顔で言っているような印象でした。
片方の女の子は、小さい頃からかんしゃく持ちで、友達ができてもすぐに絶交とかしちゃいます。すごいですよね。笑
「キライな人が世界中に満ちあふれていて、私のいる場所なんてありゃしない。一人キライになるごとに、自分の居場所がごりごりと浸食されていく。サイテーの気分。人をキライだという気持ちは汚い。毒がある。自分の出す毒にやられて自分が汚れて苦しくて死にそうになる。」
それでも憎めないのは、人のことがキライでも、キライになる自分をどこか否定的に見ているからでしょうか。カタカナでキライと書かれると、ほんとにキライなのかどうか、気持ちが薄れるような気もします。
そしてこの女の子は、もう一人の主人公である男の子を好きになり、それを通してキライな人とも関わるようになっていくのです。
この男も考えることが少し周りとズレています。それを象徴するかのように、クラスメイトの似顔絵ばかりを教科書に落書きし、書かれた相手が不快になるような嫌な表情を描き出します。お前らどんだけ周りに嫌われたいんだって感じです。笑
しかしこの絵が二人をつなぐ点であり、線になっていきます。
女の子の似顔絵だけがどうもうまく描けない。これだ、と思えるような表情を描き出すことができず、その完成を追うようにして、二人の距離は少しずつ近づいていきます。
「村田(女の子)のしゃべり方は、すげえぶっきらぼうで率直で、余計な語尾がついてなくて短い。生まれてから一回も嘘や冗談を言ったことがないような気がした。輪郭が見えねえ。キャラの輪郭、みたいなのが見えねえ。果てが、わかんない。」
とか言いながら、彼女との普段の会話や表情、雰囲気を彼なりに感じながらキャンバスに描いていきます。
そしていよいよ絵が完成するんですが、若者のすれ違いというかそんな感じになって、彼女のもとに届ける最後のところまでハラハラしました。
同じ場面でも、それぞれの視点から書かれているので、お互いの相手に対する印象とか気持ちがよくわかりました。片方がなんてことなく過ごしていても、片方はその光景から相手の底知れなさのようなものを感じ取り、彼・彼女のことをもっと知りたい、もっと、もっと、、となっていく。
自分も相手にどう見られているのかとよく気にしますが、相手の受け取り方は往々にして異なり、時に思いがけない、まったく意図していなかった印象を与えてたりしますよね。
解説で角田光代さんが、逃げることとごまかすことに長けていた高校生の時の自分に読ませたいとおっしゃっていました。
このような作品を高校生とか中学生のうちに読んでおくのは、とてつもない影響を与えるんじゃないかと今更ながら思います。いろんなことから逃げて先延ばしにして、どこか熱くなりきれない、マジってかっこ悪い、そんなことを自分もなんとなく考えていました。それは、現状に甘えて自分を見つめず、なるようになると根拠のない自信とともに、無為に毎日を送る自分への言い訳でしかなかったように思います。
小説を読んでいて、なんか好きだなっていうジャンルがあって、その一つが今作のような青春ものです。やっぱり自分が経験してきたこととか、その時思ったこと感じたことを振り返れるような内容のものは、読みやすいしおもしろいですよね。
そう考えると、これからどんどん新しいことを経験すればするほど、小説の面白さに触れていくことができるのかなって思って、とてもワクワクしています。なのでやっぱり、読書はいいですね!!
茶王!