読書と雑感

読書を好きになって、日々更新される自分の価値観や視点を忘れないように書き留めておきたくて始めました。
若者の戯言と思って暖かく見守っていただけると幸いです。

金城一紀「対話篇」

こんにちはこんばんは飛び魚です!


昨日更新してから一日と経ってないのですが、金城さんの対話篇を読了したので投稿します。


金城さんの作品は中学生の頃初めて読んだ「GO」から始まり、どんどんハマって「レヴォリューションNo.3」「フライ、ダディ、フライ」「SPEED」「レヴォリューションNo.0」のゾンビーズシリーズをこれまでに読ませていただきました。


これまで読んだ金城さんの作品を一言で表すと、まさに、“エネルギー”だと思っています。


中学~高校生くらいの個性豊かな悪ガキたちが、外側の世界に激しいエネルギーを伴ってぶつかっていく姿は痛快です。


バカなことばっかりしますが、そのバカなことにバカみたいに真剣に向き合います。一切の妥協がありません。


突然ですが、沢木耕太郎さんの「深夜特急1 香港・マカオ」からの引用です。↓↓


「人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血沸き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味のなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂なやつでなくてはしそうにないことこを、やりたかったのだ。もしかしたら、私は<真剣に酔狂なことをする>という甚だしい矛盾を犯したかったのかもしれない。」


話の内容もまったく異なる作品中の言葉ですが、同じようなものを金城さんのゾンビーズシリーズにも感じます。


真剣に酔狂なことをする、、なんて素敵な言葉でしょう!!



はい、ここまでの話はゾンビーズシリーズに通ずるものでしたが、今回の「対話篇」は恋愛(愛情)と死をテーマとした中編集で、今までの作品とは色合いが異なるものでした。


同じエネルギーでも、ゾンビーズは生きるエネルギー、対話篇は死ぬエネルギーのような印象です。


死ぬエネルギーっていうのは、死ぬために必要とかではなくて、死そのものがもつエネルギーというか
、抗えないようなものって意味です。ちょっと表すのが難しいです、、



それプラス、人が人を想う気持ち、深い愛情もひしひしと伝わってきました。


引用です。↓↓


「言葉にする必要はなかった。大切な事柄はひどく脆い氷の像のようなもので、言葉はノミみたいなものだ。よく見せようとノミを打っているうちに、氷の像は段々と痩せ細り、いつの間にか砕けてしまう。」


登場人物の一人が、自分の愛した人について語るシーンの言葉でした。


愛情、、まだ自分にはよく分かりませんが、言葉にしつくせないもの、言葉で表すには儚いもの、時には気恥ずかしいもの、そんな一面もあるんだなと思いました。


愛情じゃなくても、本当に伝えたいことほど言葉にしがたく、言葉にしていくうちに本来の姿を失っていってしまうことってありますよね、、いや、そうじゃなくってぇ、みたいな。笑



最後に、対話篇を読んだことによって金城さんの印象が少し変わったように、一人の作家にも様々な表情を持った作品があり、それらを吟味することによっても新しい視点、発見があるものだなと、改めて感じました。小説って奥が深いですね!


茶王!




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